2026年8月16日
平素よりアライブ目白の運営に、深いご理解と温かいご協力を賜り、心より御礼申し上げます。
ホーム長の柳町です。
午後のリビングに、花がありました。
大きな花束ではありません。
テーブルの上の、小ぶりな花瓶に活けられた季節の花です。
目白では毎週、理学療法士とお客様が一緒に花を活けています。
その日、そこにあったものも、その一つでした。
淡い花びらが、窓からの光を受けていました。
その前で、あるお客様がふと足を止められました。
しばらく花を見て、
それから静かに、こうおっしゃいました。
「これ……庭にあった気がするの」
ホームの庭ではありません。
もっと前の、どこか別の庭のことだったのだと思います。
その方は少し首を傾けながら、
花の名を思い出そうとするように、もう一度花を見つめておられました。
けれど、名前は出てきませんでした。
それでも、何かは届いていたのだと思います。
花の色だったのか。
咲き方だったのか。
あるいは、水を替えたばかりの匂いのような、
そんな小さな気配だったのかもしれません。
その方は、少しだけ笑うような表情をされました。
思い出した、という顔ではありません。
けれど、遠くにあった何かが、
ほんの少しだけ近づいてきたような顔でした。
暮らしの中には、
不意に過去へ触れてしまう瞬間があります。
はっきりした出来事としてではなく、
感覚のほうから先に触れてくることがあります。
懐かしい、と言い切れるほど確かではなく、
けれど、何も残っていないわけでもない。
その曖昧な手前で、
人はふと立ち止まるのだと思います。
名前は出てこなくても、気配は残る。
出来事は曖昧でも、季節の感じだけが、ふいに戻ってくる。
そのたびに、
人の記憶は頭の中だけにあるのではなく、
光の差し方や、風のぬるさや、花の色の中にも、
静かに預けられているのかもしれないと感じます。
今日もまた、
ホームのどこかで、
誰かが小さく足を止めています。
気づけばそのそばで、
こちらも少し静かになります。
それだけのことです。
けれど、
名前にならなかった記憶ほど、
人の中には静かに残っているのかもしれません。
もしよろしければ、
そうした小さな時間の流れる暮らしにも、
少しだけ目を向けていただけたらと思います。
誰かの手を離れた花が、
別の誰かの前に置かれ、
その人の中にあった、名前のない何かに触れる。
花は、
ただ飾られているだけではないのかもしれません。
今日も、花がありました。
皆さまとのご縁を、心よりお待ち申し上げております。




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