2026年4月16日
平素よりアライブ目白の運営に、深いご理解と温かいご協力を賜り、心より御礼申し上げます。
ホーム長の柳町です。
ある日、職員から一つの報告がありました。
お客様の腕に、小さなアザが見つかったのです。
転倒の事実はありませんでした。
痛みの訴えもない。
ただ、皮膚の上に、
わずかな痕跡だけが残っていました。
原因は分かりませんでした。
その方は、生活のほぼすべての場面に介助を要する状態でした。
移乗。
更衣。
排泄。
日常の動作には、常に職員の手が入ります。
どの場面でも、
職員の判断ひとつで、
その方の動き方は少しずつ変わっていきます。
要因を検討する場では、
自然と一つの意見が出ました。
「排泄介助は二人介助に切り替えた方が安全ではないか」
身体を確実に保持する。
不確実な動きを抑える。
転倒の可能性を、少しでも減らす。
事故予防としては、
合理的な判断です。
一方で、別の声もありました。
「残存機能は残すべきではないか」
わずかでも、
ご本人が身体を支えようとする瞬間がある。
わずかでも、
自分の意思で動こうとする時間がある。
その領域を、
簡単に手放すべきではない。
会議の空気は静かでした。
意見は分かれていましたが、
対立しているわけではありませんでした。
むしろ、
どちらも同じ方を向いていたのだと思います。
事故を避けたい。
奪いたくない。
その二つは、
本来なら切り離したくないものです。
けれど現場では、ときどき
そのどちらを先に守るのかを
決めなければならない場面があります。
私も、その場で少し考え込みました。
もし二人介助に変えて、
その方の身体がさらに動かなくなったら。
もし一人介助を続けて、
転倒につながったら。
どちらにも、責任があります。
介助とは、
ただ足りないものを補うことではなく、
どこまで手を添えるのかを決め続けることでもあるのだと思います。
手が入ること。
手が入らないこと。
そのどちらにも、
暮らしの形を少しずつ変えてしまう力があります。
結局、その会議では
一つの答えには収束しませんでした。
状況を見ながら、判断を続ける。
それだけが残りました。
その場で白黒がつかなかったことに、
私はむしろ少し救われる思いもありました。
すぐに答えが出てしまうほうが、
怖いこともあるからです。
数日後、
そのアザは少しずつ薄くなっていました。
さらに数日すると、
皮膚の上から静かに消えていきました。
ただ、
私たちの中では、
それほどきれいには消えませんでした。
あのとき、
何を守ろうとしていたのか。
何を削りかけていたのか。
その問いは、
記録よりも長く残ることがあります。
人の状態は変わり、
暮らしは揺れ続けます。
一度決めたことが、
そのままずっと正しいとは限りません。
何も起きなかったように見える日にも、
あとから振り返れば、
いくつもの判断が通り過ぎています。
介護の輪郭は、
そういう日のほうに、
むしろ残るのかもしれません。
今日も現場では、
もう見えなくなったものについて、
静かに考え続ける時間があります。
もしよろしければ、
そうした時間に触れにいらしてください。
ここでは、
消えてしまった痕跡のほうが、
かえってその方の暮らしを
はっきりさせることもあります。
皆さまとのご縁を、心よりお待ち申し上げております。




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